The journal

Words on
the way of Zen

Reflections on practice, tradition, and the everyday path of Zen.

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剛暁老和尚:禅七講話―三心念仏

阿弥陀仏。諸大徳に祝福あれ。

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我らもまた、極楽宝池の蓮華の荘厳に与(あずか)る

極楽の池の水面は、蓮華で一面に覆われている。そこには、ウトパラ(青蓮華)、パドマ(黄蓮華)、クムダ(赤蓮華)、プンダリカ(白蓮華)が咲いている。これらは青・黄・赤・白の四色の蓮華である。

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女性は貴人になりたいと願うなら、ひたすら仏名を称えるべきである

仏陀の世における有名な物語がある。仏陀が世におられた頃、波斯匿王(Prasenajit)には后がおられた。摩利夫人(Lady Molili)と呼ばれる女性で、ご存じの方もいるかもしれない。彼女は後に仏教の大檀那として知られるようになった。

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三種の不退はすべてこの一念のうちにすでに定まる

第十一願、すなわち「正定聚の者は必ず涅槃に至る」という願について見ていきましょう。「もしわれ仏道を得るとき、わが国の人天、正定聚に住せず、ついには涅槃に至らざれば、われ正覚を得ざれ」

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念ずれば資具が現れる — 誠に渇仰の心を起こさしむる

第三十八願に目を転じましょう。第三十八願とは「妙衣自然に身に着く願」です。この「妙衣」とは、袈裟(かさ)、すなわち比丘が身につける僧衣のことです。私が仏陀となったとき、天や人が私の浄土に生まれて衣を求めれば、その思いが起こった瞬間に、ただちに衣がその身にまとわれる、という誓いです。

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顚倒相はいかにして生ずるか

我々の顚倒相は、いかにして生じるのか。――「ただ因縁に由ってのみ生じ、顚倒により生み出される」と。「因縁による存在」とは業力のことであり、「顚倒によって生み出される」とは、私たちの心に起こる執着と分別を指している。それゆえにこう説かれている――常に歓喜をもって、かくの如き法相を観じよ、と。

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仏の六即:名字即

菩提の道を歩もうと願うなら——揺るぎなく、円満に——真の修行においてまず第一になすべきは、大乗の教えに耳を傾けることです。

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仏の六種性:分真即仏と究竟即仏

さて、次に参りましょう。今より聖位に入ります。内なる凡位を過ぎ、聖位の最初の位である分真即仏へと進むのです。合掌なさい。

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業障が現れたとき、功徳がなければ為す術もない

日々静かに功徳を積んでいても、そのことに気づく者はいない——自分にも。何かが起きて初めて、それは姿を現す。先ほど触れた因果の道理を思えば明らかだ。平穏なときには、功徳のありがたさなど感じられない。では、功徳が真に問われるのはいつか。まさにその一点、危機の一瞬だ。まさにそのときになって、自分の「銀行口座」に蓄えがあるかどうかが、はじめて明らかになる。口座が空なら——「ドスン」——あっけなく崩れ落ちる。後は業障の重さしだい。

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利益を求める心を捨て去れば、無上の宝蔵が開かれる

まさにそのとき、摩訶迦葉は譬喩を散文で述べた後、同じ趣旨を偈頌でおっしゃった。「今日、我々は仏の教えを聞いた」。この「今日」とは何を指すのか。法華経の法会のことである。法華経以前には、仏は衆生が功徳を積めるよう助けるために三乗を説かれた。視野を少し広げて人間界と天界を含めれば、五乗となる。いずれも方便の教えだ。

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林崇安先生『*瑜伽師地論*』*声聞地*における止観の要義――第5回 安般念の十六殊勝行

◎ 安般念の修習は、止と観の完全な道を備える。 ◎ 十六殊勝行を修めることは、四念住を修めることである。

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林崇安教授:無我と空 第三講 —— 実体的に存在する自己の論破

無我と空 第三講

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