我らもまた、極楽宝池の蓮華の荘厳に与(あずか)る
極楽の池の水面は、蓮華で一面に覆われている。そこには、ウトパラ(青蓮華)、パドマ(黄蓮華)、クムダ(赤蓮華)、プンダリカ(白蓮華)が咲いている。これらは青・黄・赤・白の四色の蓮華である。
極楽の池の水面は、蓮華で一面に覆われている。そこには、ウトパラ(青蓮華)、パドマ(黄蓮華)、クムダ(赤蓮華)、プンダリカ(白蓮華)が咲いている。これらは青・黄・赤・白の四色の蓮華である。
『天のウトパラ』の『天』とは、人が植えたり育てたりする必要がなく、自然に自ずから生じることを表しています。私たちが西方極楽に往生するとき、法身と智慧の生命はどこで生まれるのか。答えは、八功德水で満たされた七宝の池のなか、ほかでもないこの場所です。この一節を理解すれば、私たちが往生する場所をはっきりと知ることができる。
これが私たちの生まれ故郷です。俗に言うように、「九品の蓮華こそが我らが父、我らが母」とも。私たち一人ひとりの蓮華は八功德水の上に咲き、その蓮華から出れば、すぐに池の岸辺を歩み出ることができます。水辺には講堂、禅堂、宮殿、楼閣が立ち並び、岸辺を踏み出した瞬間、すぐに阿弥陀仏を拝し、説かれる法を聞くことができるのです。池の水面は四色の蓮華で覆われ、その色合いは実に豊かです。
『様々な色』とは、豊かさの広がりを意味しています。色彩が豊かに広がっているのです。『明るく盛ん』とは、その光が実に生い茂っていることを表し、これらの蓮華は枯れることなく、命にあふれています。そしてこの輝く豊かさは、私たちが仏の名を称える修行をどのくらい深く行っているかに、まさに直接的に連動しているのです。
浄土の経典には、娑婆世界のような他の世界の衆生が、真心から信と願いを起こし、仏の名を称えるとき、七宝の池にその衆生の名が記された蓮華が瞬時に咲き出でると説かれています。そこで往生がはぐくまれ、寿命が尽きたときには、阿弥陀仏がまさにその蓮華を持って、私たちを迎えに来てくださるのです。
もし私たちが精進して修行を続ければ、蓮華は大きく咲き、その色はより一層鮮やかになります。しかし、もし志を失って仏の名を称えるのをやめてしまえば、蓮華は徐々に枯れていってしまう。私たちのひとつひとつの念が、西方極楽と結びついているのです。つまり、我らもまた極楽宝池の蓮華の荘厳にあずかっている。私たち衆生は、浄土の環境の荘厳に、自らも加わっているのです。
このような蓮華は八功德水の上に広がり、水面を一面に覆っている。ここで言う『広がる』とは、つまり水面を広く覆うことを意味します。