割り引きで読経
父を失った息子が、父の解脱のため読経を頼みに、仏光禅師の寺を訪ねた。禅師は香・華・蔬果の供養を整え、亡き父のために読経を始めた。
父を失った息子が、父の解脱のため読経を頼みに、仏光禅師の寺を訪ねた。禅師は香・華・蔬果の供養を整え、亡き父のために読経を始めた。
しかし孝行の息子は費用のことで頭が一杯で、『阿弥陀経』一巻の読経には幾らかかかるかと、禅師にしつこく尋ねた。禅師は息子の吝嗇な態度に不快感を覚えて、単刀直入に答えた。
「『阿弥陀経』一巻の読経は、銀十両でございます」
納得しない息子は値切り始めた。
「禅師、十両では高すぎます! 二割引にはなりませんか? 八両ではいかがでしょうか?」
禅師は頷いた。「よろしい」
読経の儀式が進んでいくうち、息子は禅師が小声で回向の詞を唱えているのを耳にした。
「十方の諸仏・諸菩薩様、本日の読経の功徳はすべて亡者に回向し、東方世界に転生せんことを」
孝行の息子は抗議した。
「それは違います、禅師! 死後は西方極楽浄土に往生するとしか聞いたことがありません——東方世界など聞いたこともありません!」
禅師は答えた。
「西方極楽浄土への往生は銀十両でございます。あなたが二割引を申されましたゆえ、残されたのは東方世界のみでございます」
仕方なく息子は言った。
「では二両追加いたします。どうぞやはり父を西方極楽浄土へ往生させてください!」
その時、棺の中の亡者は、もう黙ってはいられなくなり、息子にこう怒鳴った。
「このふがいない息子め! たった二両を惜しんだばかりに、お前の親父を東と西との間で行ったり来たりさせるとは——もうへとへとだわい!」
法は商品ではなく、日常の商取引のように値切るべきものではない。仏典にはこう説かれている——施す田と施す心が異なれば、功徳の質もまた異なる。同じ十銭の布施(施すという行為)であっても、功徳田(施す相手)のよしあしと、心の状態(施す動機)の誠意次第で、その報いは大きく異なる。法には値がない——功徳の大小は施した金額では測れない。功徳の本当の質を決められるのは、ただ発心の誠意と、その広さだけである。