Words on
the way of Zen
Reflections on practice, tradition, and the everyday path of Zen.
新米僧の夜の徘徊
禅の教育は、慈悲を母、方便を父とし、言葉ではなく静かな行いの手本によって示すものである。
読む林崇安教授:『ダンマパダ』とその譬喩の変遷に関する小探求
仏教学論集
読むあなただけがなれる自己になる
南嶽懐讓禅師には、馬祖という弟子がいました。般若寺に滞在していた馬祖は、日ごとに結跏趺坐を組み、深い思索にふけていました。やがて懐讓禅師が近づき、問いかけました。「このように結跏趺坐を組んで、何を成そうとしているのだ?」
読む心に積もる塵を払い続ける
定州禅師が若い修行僧とともに寺の中庭を歩いていた折、突風が吹き抜け、木々から葉が次々に舞い落ちた。老禅師は身をかがめ、落ち葉を一枚ずつ拾い、衣の中にしまった。側にいた修行僧は黙っておれず、「和尚様、もうおやめください。明朝には私たちが掃き清めますから、そこまでご苦労なさるには及びません」と口を開いた。
読む山を抜け出る道はどれか――流れに従え
馬祖道一の「即心即仏」――「この心すなわち仏なり」――という教えを聞いて、大梅(752–839)は悟りを開き、山中に隠遁した。そして山道のほとりに、自ら質素な草庵を結んだ。
読む言葉にできない
石頭希遷禅師が龐蘊居士に問うた。「この老僧のもとへ来て以来、日々の修行をいかに努めてきたか。」
読む私の関心事ではない
楊山洪濟禅師が潙山霊祐禅師に問うた。「十万、百万の現象が一斉に生ずる時、如何にすべきか」 「青は黄に非ず、長は短に非ず」と潙山は答えた。「諸法それぞれその所に在り、わが関知するところではない。」
読む仏陀の煩悩
ある修行者が趙州従諗禅師に尋ねた。 「仏陀は煩悩をお持ちでしょうか。」 「持つ。」 「それでは困ります。仏陀は解脱されているはず、なぜなお煩悩がおありなのでしょうか。」 「おまえがまだ渡っていないからだ。」 「修行して渡り終えたら、仏陀はもう煩悩をお持ちになられないのでしょうか。」 「持つ。」 「でも私はすでに渡りました。どうして仏陀はなお煩悩をお持ちになるのでしょうか。」 「有情がまだ残っているからだ。」 「もし有情が一度も救われないとするならば、仏陀は永遠に煩悩の中...
読む世を渡る道
翰林学士の黄山谷は、祖心禅師がどんな時でも穏やかで揺るぎなく、心安らかであるとの噂を耳にした。そこで自ら禅師のもとを訪ね、いわゆる「世を渡る道」について教えを請うた。
読む万象は虚空に答える
南泉の法嗣である僧センは湖南にいた。
読む林崇安教授:無我と空、第二講:蘊と同一なる我の否定
林崇安(2007)
読む林崇安教授:無我と空、第一講:常我を破し、離蘊我を捨て去る
無我と空 第一講 常我を破し、離蘊我を捨て去る
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