六祖の神通力が恵明を教化す
袁州蒙山の道明禅師(袁州の州治は現在の江西省宜春)は、六祖慧能大師の嗣法である。もと恵明という名であったが、六祖の諱の一字を避けて道明と改めた。鄱陽の出身で、陳の宣帝の孫にあたる。隋が陳を滅ぼしたのち、道明は庶民として暮らした。皇族の末裔として、かつて四品将軍の代理を務めたこともあった。家が没落したのを機に、幼くして出家を志すようになった。まず永昌寺で得度した。道を求める思いに駆り立てられ、かつて双峰山へ赴き四祖・道信を訪ねたこともあった。のちに唐の高宗の治世、五祖のも...
袁州蒙山の道明禅師(袁州の州治は現在の江西省宜春)は、六祖慧能大師の嗣法である。もと恵明という名であったが、六祖の諱の一字を避けて道明と改めた。鄱陽の出身で、陳の宣帝の孫にあたる。隋が陳を滅ぼしたのち、道明は庶民として暮らした。皇族の末裔として、かつて四品将軍の代理を務めたこともあった。家が没落したのを機に、幼くして出家を志すようになった。まず永昌寺で得度した。道を求める思いに駆り立てられ、かつて双峰山へ赴き四祖・道信を訪ねたこともあった。のちに唐の高宗の治世、五祖のもとで学び、恵明という法名を授かった。
恵明禅師はもと軍人で、気性が荒く粗野であった。求道の志は深く、たゆまぬ精進を続けたものの、機縁がまだ熟しておらず、長年の修行にもかかわらず悟りを開けなかった。そのため次第に焦燥を募らせ、住処を失った野犬のように落ち着かぬ日々を送っていた。
その後、五祖が衣と法を在家の盧(慧能)へ密かに伝えたと聞き、恵明禅師は激怒した。心の中で思った——この恵明は、四祖にも参じ、五祖のもとで長年仕えてきた。あの在家の盧は、字も読めぬ米搗きの蛮人ではないか。来てから一年にも満たないのに、すでに衣と鉢を受けたというのか——。そこで彼は志を同じくする数十人を集め、南へ向かって慧能大師を追った。一行は六祖の足跡をたどり、大廋嶺まで追いかけた。恵明は元軍人で足が速かったため、真っ先に六祖に追いついた。六祖は恵明が近づいてくるのを見ると、衣と鉢を大きな平らな石の上に置いて言った。「この衣は信仰伝授のしるしである。どうして力ずくで奪えようか。もし欲しければ、取るがよい。」(衣と鉢は信仰の継承を表すものであり、力で奪い取ることはできない。もしそれを望むなら、持ち去るがよい。)そう言うと、六祖は森の中へ姿を消した。
恵明禅師は喜び勇んで進み出て、衣と鉢を手に取ろうとした。しかし持ち上がらない。彼は呆然とした。全力で再び試みたが、衣と鉢は泰山のように微動だにしなかった。恵明は恐怖に囚われた。衣と鉢の周りをぐるぐると歩き回り、体を震わせていた。その瞬間、一念が心を一変させた。彼は森に向かって叫んだ。「行者!行者!私は法のため参ったのであって、衣のためではない!」
六祖は森から姿を現し、大きな平らな石の上に結跏趺坐した。恵明禅師は駆け寄って拝礼し、言った。「どうか行者様、法の奥義をお説きください。」
六祖は言った。「法を求めて来たのなら、一切の雑念を捨て、一念も起こさずに、私が法を説くのを聞きなさい。」恵明禅師は長い間、心を静めた。六祖は尋ねた。「善を思わず、悪を思わず、ただこの時、明上座の本来の面目はいずれであるか。」
恵明禅師はその場で大悟した。全身から汗が流れ落ちた。歓喜と悲哀が入り混じり、涙をとどまらず流し、六祖の前に幾度も拝礼した。なお心に最後の疑いが残り、問うた。「先ほどの密語と密意のほかに、さらに奥の意趣はあるでしょうか。」
六祖は言った。「私があなたに説いたのは真の秘密ではない。もしあなたが光を内に転じて照らせば、秘密はあなた自身の傍らにある。」(私が告げたのは究極の秘密ではない。もしあなたが心を返して内を見れば、秘密はそこに在る。)
恵明禅師は深い安らぎを得て、言った。「黄梅では大衆に連なっていましたが、ついに自分の本来の面目を悟ることがありませんでした。今、あなた様が悟りへの道を示してくださったおかげで、まるで水を飲むようなものです。温かいか冷たいかは、自分にしか分かりません。今や行者様、あなたは私の師です。」
六祖は言った。「あなたにとってそうであるなら、あなたも私もともに黄梅の同じ師の弟子である。善く修行を護持しなさい。」
恵明禅師は再び尋ねた。「これからどこへ参るべきでしょうか。」
六祖は言った。「袁に逢えば則ち止まり、蒙に遇えば則ち居す。」
恵明禅師は再び拝礼して六祖に感謝し、山嶺を駆け下りた。あとをついてきた一行に告げた。「先ほどあの高い険しい峰に登り、あたりを見回したが、姿は見えなかった。別の道から探さねばなるまい。」皆はその言葉を信じ、散り散りに捜しに行った。一方、恵明禅師は独り廬山の瀑台へ赴いた。三年後、袁州の蒙山に移り、広く法を説いて多くの人々を悟りへと導いた。