← 記事 Practice · Zen practice

大蒙山施食——六道衆生の利益と解脱を願う仏教法会

蒙山施食は、さ迷う餓鬼を救済することを目的としている。宋代、四川の蒙山に住んだ不動大師(甘露大師とも称される)がいた。浮かばれぬ衆生への慈悲心に動かされ、瑜伽焔口法と密教の重要経典を融合させて『蒙山施食』を編纂し、やがて仏教寺院の日課の定番となった。近代、倓虚大師は蒙山施食を広く推奨し、この法要に六つの説示を加えて拡充した版が、やがて蒙山大施食として知られるようになった。毎年七月十五日の夕べと冬安居の際、廬山東林寺は古くからの伝統に従い、厳粛な蒙山大施食の法会を執り行っ...

蒙山大施食 — 六道衆生利益の仏教法要

蒙山施食は、さ迷う餓鬼を救済することを目的としている。宋代、四川の蒙山に住んだ不動大師(甘露大師とも称される)がいた。浮かばれぬ衆生への慈悲心に動かされ、瑜伽焔口法と密教の重要経典を融合させて『蒙山施食』を編纂し、やがて仏教寺院の日課の定番となった。近代、倓虚大師は蒙山施食を広く推奨し、この法要に六つの説示を加えて拡充した版が、やがて蒙山大施食として知られるようになった。毎年七月十五日の夕べと冬安居の際、廬山東林寺は古くからの伝統に従い、厳粛な蒙山大施食の法会を執り行っている。

蒙山施食の起源と功徳

蒙山施食の歴史は、釈迦牟尼仏のご在世にまでさかのぼる。阿難尊者が、ある時林の中で禅定に入っておられたところ、突然、面然(めんねん)と名のる鬼王に遭遇し、三日後に餓鬼道に堕ちると告げられた。阿難がその運命を免れる道を尋ねたところ、鬼王は、六道の一切衆生と無数の餓鬼に飲食を供養する必要があると教えた。翌朝、阿難は世尊のもとに参り、施食の方法をお教えくださるよう請うた。世尊は阿難に『変食真言』を授けられた。この真言を唱えれば、わずかな食物が次々に七倍に広がり、やがて測り知れない量となる。さらに『甘露真言』を授け、ありふれた水を甘露に変える。これが仏陀在世中の施食の始まりである。

仏教が中国に伝わった梁の武帝の時代に、ある夜、武帝は夢の中で偉大な僧侶から、六道の衆生を救うための大規模な水陸斎会を催すよう勧められた。志公の助言に従い、顕教・密教の経典をもとに二つの真言を中核とする儀軌をまとめ、衆生を救うための壇を設けた。これが中国における施食法の始まりである。

唐代になると、二人の密教僧、金剛智(Vajrabodhi)と不空(Amoghavajra)が、やはりこの二つの真言を軸に焰口法を構築し、顕密の経典から章句を加えて整えた。この法統は今日まで伝えられ、今日最も広く行われている施食、すなわち焰口施食として知られている。

宋代に至ると、不動禅師(甘露大師とも呼ばれる)が、四川の蒙山において『救抜焰口餓鬼陀羅尼経』と密教の水施法をもとに『蒙山施食儀軌』を編纂された。二つの真言を中核としつつ、さまざまな密教経典から章句を集め、一つの首尾一貫した施食儀軌にまとめ上げた。この儀軌に厳格に則って修法を営むことを「大蒙山を修す」と呼ぶ。

僧堂の日常において、蒙山施食は夕方の常行課誦に含まれており、さまよう霊魂の菩提のために行われる。この簡略化された日常の行法を「小蒙山を修す」と呼ぶ。作法を正しく守れば、在家の修行者が一人でも、あるいは数人でも修することができる。

施食には多くの功徳がある。『仏説首称迦長者宿報因縁経』に説かれているように、飲食を供養する者には十種の功徳がある。すなわち、一に長寿、二に相好端厳にして健やか、三に力あり、四に弁舌無碍、五に大無畏、六に懈怠なく人に敬われ、七にすべての人から愛される、八に功徳広大、九に臨終に天界に生まれる、十に速やかに涅槃を証する、である。

蒙山大施食の儀軌

宋代、不動禅師はさまよう霊への慈悲心から、瑜伽焰口と主要な密教の真言経典を集大成して蒙山施食を編まれた。この行法はすぐに禅宗の日常の標準的修行として広まった。近代になると、興慈大師が蒙山施食を振興し、六つの開示偈を儀軌に加えた。この拡充版が「大蒙山施食」として知られる。

大蒙山施食を行う際は、場の中心に壇を設け、その上に仏像を安置する。壇には新鮮な花、季節の果物、香炉、燭台を揃え、白米と清水をそれぞれ一杯ずつ供える。年長の高僧を招いて導師とし、その方は仏像の背後に座る。維那と悦衆らは両側に座り、参会者はみな歓喜して参加する。

壇に向かって「孤魂台」を設け、十方六道の一切衆生を代表する霊牌を安置する。香を焚いた後、黄布または縄を孤魂台から壇前に渡し、すべての鬼神がここで礼拝し、法を聞き、施食を受け、妨げられることなく大いなる利益を蒙るようにする。

霊牌の前に供える米と水は十分に炊いて食べやすくしたものでなければならず、生の野菜を供えてはならない。鬼神に飲食を供養する時は、戌の刻(午後七時から九時)と亥の刻(午後九時から十一時)が適当である。静座休憩中および施食のあいだ、参会者は茶を飲んだり食事を摂ったりしてはならない。どうかくれぐれもご注意ください。

六段の開示

蒙山大施食斎において、表白師は六段の開示を宣べ、十方の孤魂餓鬼を招き、甘露をそそぎ、飲食を施し、三宝に帰依させ、諸の罪業を懺悔させ四弘誓願を起こさしめ、衆をして法を聞き、滋養を受け、苦輪を離れて速やかに菩提を証せしめんとする。この六段の開示の文辞は優雅にして義趣に富み、一切衆生に大いなる利益あり。今ここにその全文を録して下に示す。

第一の開示

十方六道の衆生よ、しかと聴け。 空の真如は寂静なり、もとより世界もなく衆生もなし。自性は元来具足す、いかにか業果の諸法あらん。ただ一念の迷いによって十界を分かち、六塵に逐うて万境騷動す。妙なること転じて妄と成り、無明九路に萌す。真の空を空寂と誤認すれば、四生の垢染あいついで起こり、衆生昇降して息まず、生死は輪転して止む時なし。人天の楽は量なしと言うも、福尽きなば再び三途に堕つ。猛火燃焼して停時なく、解脱は得難し。その苦況を語るも、まことに悲哀を催さずにはおれぬ。

今この施食の大功徳により、罪業を負える一切を普く拯済す。請う、大衆と共に偈を諷誦したまえ。此の偈はすなわち唯心の法門を直指し、各自の心中の体性と生滅とを覚了せしめんとするものなり。あたかも明鏡の万象を映し照らすがごとく、善悪の果報は各自が招く。因果は毫釐も違わず。

次に真言を誦す。其の密力のゆえに、地獄・八難・三途・四生・九有——一切の纏縛、ことごとく解脱せしむ。

次に普召請真言を誦す。十方六道の衆生、ならびに古往今来時節に因らず横災厄難に遇える遠近の者、ことごとく招請す。此の真言の威力により、彼らことごとく此の法会に来たらん。来たりて既に解脱を得たりと雖も、無始劫来の冤憎業縁ありて、互いに纏縛す。今同じ処、同じ斎に遇いて、相見れば恨念を生ぜん。ここに解冤結神咒を誦す。其の威力はまことに不可思議にして、怨懟はたちまち陽気にあたり、氷の消するがごとく消ゆ。ここより以降、いずれの処に身を処せられ、何の境に遇うとも、相見て共に喜楽を生ぜん。一同に三宝に帰依し、一同に法を聞き、一同に法食を受け、一同に解脱を得ん。

汝等一切衆生、円満の至誠心を起こせ。合掌して跪き、大衆と共に斉誦して三宝を奉迎したまえ。

第二節

今、三宝を勧請し奉れり。その広大無辺の慈悲は、必ずや此処に在します。汝ら各々至誠の心を起こし、恭しく帰依したてまつるべし。三宝は千生にも遇いがたく、万劫にも逢い難し。帰依せば無量の功徳あり、礼拝し念ずれば恒河の沙のごとき罪障消滅せん。あたかも百病を治する妙薬の如し。三宝は最尊最勝にして、その功徳の広大なるは思議すべからず。衆生真心を以て帰依せば、必ず菩提の種子は心に生ぜん。今、汝らのために三宝の聖号を宣せん。我が声にしたがい、三宝に帰依したてまつれ。

第三節

汝ら六道の衆生よ、今や三宝に帰依し、仏種すでに心生じて、まさに菩提の行道に堪えたり。ここに重ねて深く思惟すべきなり。曠劫よりこのかた、汝らの身口意の三業は清浄ならず、貪瞋痴の三毒は熾然として心中に燃え、一念念々、無量無辺の悪業を造れり。精誠懺悔せずんば、いかにか消滅せんや。今より普賢菩薩の懺悔の偈にしたがい、汝らを導かん。三宝の尊前に恭しく立ち、我が声にしたがい、至誠懇切の真心をもって己が罪障を披陳し、大慈大悲の寛宥を哀請すべきなり。

第四節

汝ら六道の衆生よ、懺悔を修し、業障すでに清浄なりと雖も、曠劫よりこのかた造りし罪因は量り知るべからず。まさに永く精誠懺悔して、始めて漸々に消尽することを得ん。知るべし、罪は心より生じ、懺悔もまた心より生ず。心滅せば、いずくにか罪の存せんや。一切の時処において、分別の念の起こらざるを要とす。しからば、すなわち罪の根本断絶す、是を真の懺悔と謂う。

精誠懺悔の後、まさに四弘誓願を発して以て修行の本と為し、功徳を山のごとく積み、六波羅蜜を行じて円満せしめん。今、汝らのために四弘誓願の偈を宣せん。三宝の尊前に膝を折り、我が声にしたがい、一心専念に誓願を発すべきなり。

第五の教え

汝ら六道の衆生よ、今すでに誓願を発せり。当に知るべし、誓願は大海のごとく、測り難く深遠なり。修行は高き山の如く、究竟して円満す。必ず六度の大行を修習し、四弘誓願の海を満たさざるべからず。この誓願の海を円満せんとせば、当に自利利他の二行に精勤し、務めて力むべきなり。

自利においては、必ず三業を清浄に保ち、難行躬らに行じ、難忍よく忍び、無量劫の精進修行において、一念たりとも退転の心を起こすことなかれ。利他においては、必ず六度波羅蜜を精進修習し、萬行欠くることなく円満し、広く衆生を解脱せしめ、艱難苦辛に倦むことなかれ。自利究竟せば、利他すなわち広大なり。六度萬行、普く転変融和す。譬えば苦悩の救者のごとく、必ず先ず自己の力量を円満ならしむるを要す。救う衆生愈々多ければ、修証愈々易し。

次に汝ら自身の業について再び宣べん。無量劫よりこのかた造りたる定業、いまだ円かに消滅せず。故に今、地蔵菩薩の滅定業真言を誦まん——円かに消滅せんがためなり。次に観世音菩薩の消業障神呪を誦まん——氷消雪解するがごとく、速やかに消滅せんがためなり。復た、夙に慳貪の習気あるがゆえに、久しく汝らの咽喉塞がりて通ぜず。今、開咽喉真言を誦まん——通暢無礙にして、法の清浄なる真味を甘受するに堪えんがためなり。上の光明祕密の真言神力に頼り、内外の障礙円かに消滅せんことを。

次に三昧耶戒を請いて、汝らの戒根円かに清浄ならんことを——明珠の光彩輝くがごとし。一切修せし功徳、皆悉く円満成就せん。

次に祕密変食真言を誦まん。一粒七粒に変じ、七復七に変じ、七七窮りなし。かくのごとく一分の食より無量の食を生じ、而もこの無量の食はまた一に帰す。一は即ち無量、無量は即ち一。一々みな層層窮りなく生じ、虚空を満たして法界に遍満し、普く飢渇を除き、一切の苦を離れ楽を与う。

次に祕密変水真言を誦まん。世間の水を甘露に変じ、法界に遍満して性海のごとし。一切衆生普く清涼の恩を受く。この食とこの水、相遍満融通す。食し觸るる者は六根清浄なり。見て聞く者は一切の苦しみより解脱す。

一字水輪真言——此の食此の水、究竟清浄にして妙に和合す。

乳海真言——此の食此の水、新鮮にして本より清浄なり。

次に七如来の聖号を称揚せん。聞く者ただちに解脱し、蓮華座の妙体に昇り、安楽にして光明赫奕たり。

汝ら、一心専注して聴聞せよ。

第六の開示

施食の法門を説き尽した。仏弟子たちはすでに不思議なる根本心を証し、ともに清涼の境地に入った。偈頌は一切法が唯心の真理を指し示した。真言は無量の苦の障壁を打ち砕いた。三宝に帰依すれば、妙なる果に入り、苦の輪廻を脱する。この道は解脱の門に通じる。

四弘誓願を堅く起こさねばならない——すなわち、衆生を救って仏道を求め、涅槃の果に向かって精進することである。まず懺悔の力により誓願はさらに深まり、つぎに定業を滅する功徳により根本の業因は清められる。さらに三昧耶戒を受ければ、大乗の無漏戒体は円満に成就する。

食物は色・香・味に変じ、互いに遍満し相い入る。水は甘露に変じ、普く降り注いで一切衆生を潤す。七如来の名を聞けば、たちどころに六道の苦しみより解脱する。

これすなわち平等の法会なり、貴賤の隔てなく同じく受く。これすなわち無辺の道場なり、怨親を同じくして遇う。さきに説かれた経文と真言の一切の功徳は、『心経』の真如に冥合する。顕密の諸章は、ことごとく浄土往生の秘蔵に従う。

普遍回向真言:法界の一切衆生、ことごとく菩提を円満に成就せんことを。

吉祥の偈が歌われる:この世の一切衆生、常に願いのままに満たされんことを。

そもそも汝らがこの最上の因縁に遇い、すでに出世の法門を聞くことを得た以上は、常に自らを覚照し、心を迷わさず、諸相に執着するなかれ。一たび闇道に堕ちれば、万劫を経てもなお還り難し。この理をすでに解した以上は、速やかに究竟の解脱を成就せんことを。仏は大慈悲に感じて、ただちに汝らに解脱を与えたまわん。汝らの身は蓮華に乗り、お姿は光明を放つ。永く阿弥陀の美妙なる声を聞き、ただちに無生法忍を証せん。

真心を一つにして、大衆とともに仏名を唱え、回向せよ。

孟山の大施食は、もとより餓鬼道の衆生のために行われるものであるが、実は幽冥の衆と顕在の衆、双方を利益する。印光大師は次のように説かれている:

「孟山施食を行うに、もし真心を尽くせば、猛鬼たりとも恭しく仏の勅命に従い、害をなすことを止める。このゆえに、怨業により生じた医薬でも治し難き病に苦しむ者は、真心を込めて仏名または観世音菩薩の名号を唱えれば、速やかに平癒する。これは怨霊が仏名の恩光を受けてより高い趣に生まれ変わり、去りゆくからである。」