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在家仏教行者・荘春江:如来蔵の研究 ―― 第四章 如来蔵教義の構想と完成

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第四章:如来蔵教義の構想と完成(初版 2004年12月12日/改訂版 2005年4月5日)

4-1. 第1節「一切法平等・諸現象の無礙融通」学習ノート

  1. 如来蔵思想は「初期仏教」の流れから直接派生したものではなく、「初期大乗」の思想を土台とし、世俗の文脈に適応しながら独自の洞察を展開したため、他の初期大乗の伝統と共有されない独自の大乗教えとして成立している。
  2. 『般若波羅蜜多経』(紀元前50年頃から200年頃に流布)は『華厳経』(150~250年)より時代が早く、初期大乗経典の二大潮流を形成した。これら二つの伝統が発展するなかで互いに影響を与え合いながら、それぞれ独自の教義的特徴と文学的特色を育んでいった。
  3. 『般若波羅蜜多経』の核心的教え:この経典は「無所住」を旨とする般若波羅蜜多に導かれる菩薩道を説き、一切の現象は本来空であり、すべてが真如であり、すべてが平等であるという见解を明らかにしている。つまり存在と非存在を超えた不二の境地である。
  4. 般若波羅蜜多思想における独自の発展: I) 「何も見ない」ことと「一切を見る」こと a) 般若波羅蜜多が直接証得されると、一切の妄分別から解脱し、智慧の眼には一切の現象のうちに何ものも映らない。これこそが般若波羅蜜多道の本来の趣意であり、中国仏教では「真空」と呼ばれ、チベット仏教では「無住の極致」と呼ばれる、一切の妄分別を断つ状態である。 b) 般若波羅蜜多が直接証得されると、智慧の眼は一切の現象の中に何ものも見ないものの、妨げなく一切のものを見通す。これは中国仏教の「中道を見る」という考え方、およびチベット仏教の「幻によって成立した実性」という用語に合致し、一切の障害から解放された、空で静かな状態を指す。 II) 「一切法は空に帰着する」と「一切法は色に帰着する」 a) 『小品般若経』は「一切法は空に帰着する」と説き、つまり一切の現象が究極的には空に帰着し、決して真如を離れることがない、という意味である。 b) 『大品般若経』は「一切法は色に帰着する」をはじめとする類似の表述を説き、これは一切の現象が色をはじめとする他のあらゆる現象に帰着することを意味する。もっともそれらは究極的には把捉不可能であり、空と真如の本性そのものである。なお「一切法は一切法に帰着する」とする箇所は、一切の現象が障害なく自由に相互に融通する様子を表すものとして解釈することもでき、華厳経が説く一切のものが相互に浸透し合一するという観想と合致する。
  5. 『華厳経』の核心的教え: a) 同経は如来の深遠なる果徳を中心に据え、大衆部の説く如来の色身が無為・無漏・無辺であり、その寿命・神力・威厳も等しく無辺であるという見解を土台としている。平等寂静の涅槃の証得を根底に置きつつ、信仰的・芸術的・神秘的なイメージを用いて仏とその浄土を描き、これらを信仰・学習・実践・証得の理想的な対象として提示した上で、菩薩が階位を上って完全な仏果に至るまでの全過程を説いている。 b) 一切法が平等に寂静であり、滅している、という究極的視点から、「相即相入」および「一切法無礙融通」の原理を説いている。
  6. 究極的真理と世俗的施設が不即不離であるという道理を踏まえていないと、「相即相入」および「一切法無礙融通」の原理を誤って解釈し、如来が衆生の至る所に遍在し、衆生が如来の至る所に遍在する上、両者が平等に無礙で相互に融通し合っている、と誤って結論づけてしまうことになりやすい。
### 4-1. 考察問題

1. 第2章および第3章の内容を踏まえて、なぜ如来蔵思想が「初期仏教」の流れから直接派生したものではないと言えるのかを説明しなさい。
2. 『般若波羅蜜』系の教説が発展する中で、どのような異なる思想潮流が生まれたか。
3. 『般若経』群の教説と『華厳経』の教説は、どこに一致し、どこに相違するか。
4. 「如来はあらゆる衆生の中に存在する」という教えを生じさせた可能性のある教説的立場にはどのようなものがあるか。

### 4-2. 第2節の学習ノート:「『華厳経』における潜在的な如来蔵思想」

『華厳経』には、「如来蔵」という語を明示的には用いないながらも、如来蔵思想を表現する三つの重要な箇所が含まれている。

1. 唐代訳の第37巻(「如来出現品」)に収められた「如来・応供・正等覚の心」と題される箇所では、三千大千世界の一切の経典が一粒の微塵の中に入りうるという比喩が用いられ、如来の智慧(菩提の同義語)が衆生の心相続の中に常住していることを示している。この一節は、如来蔵思想の表現として広く理解されており、後代の仏教学者たちによって繰り返し引用されてきた。
2. 唐代訳の「十地品」(第26巻)には金の精錬の比喩が説かれ、各菩薩地で積まれる功徳が次の位へと漸次増進していく様が示される。海底から取り出された如意宝珠(シンターマニ)は、その本性と機能がすでに円満しているとはいえ、なお精錬を要する。この比喩は、菩提心および一切種智の智慧が、初地から十地を経て円満仏果へとどのように進展していくかを示し、菩提心の発心から菩提の究竟円満に至る道筋を描いたものである。これには、菩提が本来すでに具わっているという含意がある。
3. 「毘盧遮那品」(唐代訳、第1〜6巻)では、海中に生ずる蓮華が説かれ、仏国土・仏・菩薩がその花弁の上に現れる様が描かれる。蓮華の蕾が開くにしたがって、花弁の中にはすでに蓮台が形成されており、花弁が散り落ちる時には、蓮台が完全に顕わになる。これは、菩提が本来すでに具わっており、無量の修行の積み重ねを待つばかりで、荘厳円満な仏果として顕現することを示唆している。

### 4-2. 考察問題

1. 仏教における蓮華の象徴的意味を述べ、それがインドの文化的伝統とどのように関わるかを示しなさい。
2. 『華厳経』の中で、如来蔵思想の中核的意味を伝える比喩にはどのようなものがあるか。

### 4-3. 第3節の学習ノート:「心・菩提心・菩提・衆生界」

1. **如来蔵思想興起の背景**:インド南方の一部の法持比丘たちは、『華厳経』を含むその地方で流布していた経典の比喩にもとづき、「如来の常住・恒常・本有」を説いた。如来蔵・如来蔵界・仏蔵・仏性・衆生界・自我などの諸説とともに、この「真我」説を中心とする教えは、「不空の大乗」の主要な潮流を形成した。この潮流は、如来の果上の功徳と、すべての衆生に本有する仏性に重きを置く。如来の常住遍在の教えから展開し、すべての衆生が本有の如来蔵(仏性)を具えているという主張に至った。これは「真我」論として始まり、やがて「真心」論と合流した。
2. **菩提心の意味**:
   a. 世俗的な菩提心:菩提心の本来的な意味は、菩提(仏道)を達成しようとする発願である。
   b. 勝義の菩提心:本来清浄な菩提心とも呼ばれ、その深い意味は「菩提の自悟」、すなわち仏菩提の智慧の初動的・部分的な顕現である。
3. 勝義菩提心の本有とその後の顕現を金や宝の比喩で示すことは、仏性が衆生の身体の中に常住すると説く如来蔵の教えと密接に符合する。したがって、後代の学者はこれらを同一の教説的潮流に属するものとして一括して扱うことが多い。
  1. 「菩提と菩薩心」を中心に説かれる聖教: a) 『華厳経』「十地品」(この章の並行版本としては、『菩薩心地経』、『菩薩十地経』、『大宝積経』収録の「無尽意菩薩集会品」、『金光明経』収録の「最浄地陀羅尼品』がある) i. 『般若波羅蜜多経』と同様に、菩提も心も衆生も、あらゆる法も固有の実体を持たない単なる名称に過ぎないと説く:「いかなる法にも執着しなければ、これを菩提を得ると言う」 ii. 『華厳経』の「心・仏・衆生は本来差別がない」という教えに基づき、「菩提は心であり、心は衆生である」と悟ることが、菩薩心を実践することになると説く iii. 如来蔵思想と共通の見地に立ち、菩薩心を起こす(すなわち菩薩道を実践する前提条件)ためには、「過去・現在・未来を超えた」菩提を出発点とせねばならないと説く b) 『大悲経』(並行する異本は『大集経』の「序品」および「陀羅尼自在菩薩品』に収録されている) i. 『究竟一乗宝性論』(通称『宝性論』)が依拠する根本経である。古来の仏教学者たちはこの経を如来蔵思想と密接に関連づけたが、如来蔵思想に呼応する「如来の16の大悲」と宝の比喩を除けば、その内容の大半は一般的な大乗経に典型的な内容を持つ。 ii. 衆生が菩提が「無根無住」であることを悟らないので、如来は大悲を起こして彼らを教化し、そうした事象を16例挙げて「如来の16の大悲」と名付けていると説く。これは『華厳経』の有名な感嘆「奇哉、奇哉!智慧を余すところなく具えた如来が、この身の内に住まいながら、見ることも知ることもできないとは、なんと不思議なことか!」と同じ趣旨を伝える。ただし、この経では菩提を「空と名付けられ、空と同じものである」と説いており、如来蔵思想とは異なり、『般若波羅蜜多経』や『華厳経』の教えに近い。 iii. 鉱石から採り出された宝を精錬して青いラピスラズリにする比喩を用い、「衆生の境地は清浄ではない」と説く(この説き方は菩薩心の立場を出発点としていない)。仏教の実践による練磨を経て菩提の道を成就し、仏陀の境地に入ると説く。 iv. 「三転法輪」を説く。第一転法輪では無常・苦・無我の声聞道を説き、第二転法輪では空・無相・無願を説いて衆生が真の法を部分的に理解できるようにし、最終転法輪では不退転の法輪を説いて衆生が直接真の法を悟れるようにする。これは『解深密経』が説く三転法輪とやや異なるが、両者とも空・無相・無願の教えのさらに奥に、より深い層の教えが存在すると共通して認めている。これは三転法輪の別のモデルであり、この経が般若波羅蜜多の伝統が普及した後に編纂されたことを示唆している。 v. 蓮華の上に全跏趺坐(両足を組んで座る姿勢)で坐す如来を描いており、これは如来蔵道の象徴である。 vi. たとえ一度も「如来蔵」という語を用いなくとも、菩提・功徳力・衆生の境地について説き、体内に宿る貴重な器の比喩を用いていることから、『宝性論』の著者から高く評価されている。

4-3. 考察問題

  1. 菩提とは何か、菩提心とは何か。
  2. 菩提心の理解は、如来蔵思想と呼応する形でどのように展開してきたか。
  3. 『大哀経』(Sūtra of the Great Lament) には明示的な如来蔵の教えが説かれていないにもかかわらず、なぜ如来蔵思想の根本論書である『宝性論』(Ratnagotravibhāga) の根本経典とされるのか。

4-4. 第4節の学習ノート:「如来蔵経」

  1. 『如来蔵経』の位置づけ:如来蔵を主題に据えた最初の大乗経典である。
  2. 『如来蔵経』の編纂:およそ紀元250年以前に編纂された(初訳は290年から306年の間、『華厳経』の翻訳は150年から250年の間)。
  3. 如来蔵の教えは、純粋に覚った如来が煩悩に染まった衆生の身体の中に常住しており、修行を通じて顕現すると説く。本経はこれを例証するために九つの重層的な譬喩を用いる: a) 萎れた花の中に仏が蔵されている譬え:『華厳経』の「華蔵世界品」に由来し、如来蔵思想の根本譬えとされる。 b) 貧しい女の胎内に転輪聖王を蔵している譬え:『宝積経』に由来する。 c) 汚れた場所にある純金、貧者の家に蔵された宝、破れたぼろ布にくるまれた金像、鋳型の中にある金像の譬え:いずれも『華厳経』の「十地品」に由来する。 d) 蜂蜜に群がる蜂、精米を包む穀殻、米粒の中の果物の種子の譬え:これらの譬喩は『如来蔵経』独自のものである。
  4. 如来蔵思想の大衆化(精緻なものから平易なものへ): 華厳(『華厳経』)の仏国土蔵の教えは限りなく重層的で、あらゆる現象が障碍なく相互に融通し、仏の壮大で荘厳な功徳を顕示する。これは菩薩が願い求め、修行する理想であり、自利利他のための無量の劫の修行から生まれたものである。仏教思想史上、声聞の自己の利益への偏重を超えるものであり、不変にして代えがたい価値を持つ。

とはいえ、この功徳円満の完成された仏は、ある程度はインドの宗教的感受性にもかなうとはいえ、「無量の劫」をかけて功徳を積むという要求は、修行者たちには尊崇され受容されるものの、大多数の人にとっては到底手の届かないものに感じられる。

如来蔵の道は「一切衆生は等しく如来の智慧と功徳を有する」という原理の上に成り立ち、この教えをより具体的に身近なものにする。九つの譬喩を一連のものとして示すことで、その要点を印象づける:誰もが、自らの身体の中に、壮大で肉身を備えた如来が常住しており、自らに他ならぬ存在として在ることを認識できる。これにより、修行への発心と精進が自然と湧き起こる。仏教の大衆化と民主化にとって、如来蔵の教義はまさに否定し得ない変革の力を持っている。

4-4. 考察問題

  1. 印順法師は、なぜ『如来蔵経』を『華厳経』から展開した「譬喩の集成」と評するのか。
  2. 『如来蔵経』において一切衆生の本有の仏性を例証する九つの譬喩は、それぞれどの経典に由来するのか。
  3. 如来蔵の教義の価値とは何か。