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林崇安教授:『瑜伽師地論』の異相とその編纂

仏教学論文選

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『瑜伽師地論』の異相とその編纂

林崇安(2002)

1. 漢訳およびチベット訳で伝えられる『瑜伽師地論』

漢訳で伝えられる『瑜伽師地論』は「弥勒菩薩」の作と伝えられている。全百巻からなり、五つの部分に分けられる。すなわち、「本地分」(Bhūmi)、「摂決択分」(Viniścaya)、「摂釈分」(Vyākhyā)、「摂異門分」(Saṃgrahapariccheda)、「摂事分」(Karmavibhaṅga)である。チベット訳は「無着菩薩」に帰され、同様に五つの部分に分けられている。

第二節 五地分の相違

瑜伽師地論が弥勒の撰述か、無著の著作か、あるいは無著が古代の諸説を集成したものにすぎないか——その定め方の一つは、五つの地分の教説が一貫した教学を成しているかを問うてみることである。いくつか例を挙げ、何が問題になるのかを見ていこう。

(一)本地分摂異門分

『本地分』の「菩薩地」は、善逝と無上調御士について次のように説いている。

最高の境地に至り、決して退かないから、如来を善逝という。

全世界でただ一人、心を調伏する最上の方法を完璧に知る方だから、如来を無上調御士という。

『摂異門分』は異なる解釈を提示する。

善逝とは、長い夜の間に、自利利他に資するあらゆる功徳を積んできた者のことである。

無上調御士と称されるのは、その智慧に並ぶものがなく、何ものも超えるものがないからである。

この二つは如来の十号における功徳と智慧の説明の仕方が明らかに異なる。しかしその違いは教理の実質における相違ではなく、表現の仕方の相違にすぎない。

(二)本地分摂事分

『本地分』の「声聞地」は次のように説く。

死骸が膿爛したもの、腐敗したもの、壊乱したもの、膨張したもの、鳥獣に食われているものを観想することは、色への貪着から心を清める。

死骸が血に染まっているものを観想することは、身体の形への貪着から心を清める。

骨、骨格、あるいは完全な骨格を観想することは、快い触への貪着から心を清める。

遺骨が散乱しているのを観想することは、人に仕え奉ることを喜ぶ心への貪着を清める。

『摂事分』は貪着に対治する仕方が異なる。

ここでは、変色想から始めて膨張想に至るまでの諸想が、美麗な色への貪着を対治する。

噉想、膿爛想、散想は、身体の容貌への貪着を対治する。

骨想と完全骨格想は、微妙な触覚への貪着を対治する。

命の絶えた死骸が空であると観想することは、侍養への貪着を対治する。

この二つの箇所では、観想とそれが対治する貪着の対応関係が異なっており、両テキストが異なる資料に依拠していることが示唆される。

(三)摂論分摂事分

『摂論分』の「声聞地」は次のように説いている。

身体について諸法の生起を観察して住するとはどういうことか。それは、この身体が過去の世と現在の飲食とから生じるのを観察することである。

身体について諸法の滅尽を観察して住するとはどういうことか。それは、この身体が未来の世において死と滅尽に至るのを観察することである。

身体について生起と滅尽の両者を観察して住するとはどういうことか。それは、この身体が現在において飲食の縁によって維持され存続しているが、やがて必ず分解するのを観察することである。

『摂事分』は次のように説いている。

未来については、生を観察して住するものと理解すべきである。

過去については、滅を観察して住するものと理解すべきである。

現在については、生じたのち直ちに完全に滅するから、生と滅の両者を観察して住するものと理解すべきである。

この二つの地分では、生・滅・その両者という三つの要素を三世に結びつける組み合わせが異なっている。

(4) 摂抉択分摂釈分

『摂抉択分』の「声聞地」には次のように説かれている。

塔が存在する理由は二つある。第一に、悟られた真理が堅固に安住するから、第二に、依拠すべきものがあるからである。

「依拠すべきもの」と呼ばれる理由は二つある。第一に、意識ではなく智慧に依拠するから、第二に、大師は如来・阿羅漢・正等覚者であられるからである。

大師が如来・阿羅漢・正等覚者であられる理由は二つある。第一に、すべての疑惑を断ち切られたから、第二に、邪行は彼にはありえないからである。

これに対して『摂釈分』では異なった説明が与えられている。

塔が存在するとは、いかなる外道の教師も、いかなる魔も、いかなる世間の存在者もそれを覆せない、ということである。

「依拠すべきもの」とは、四依が完全に具わり、欠陥がないということである。

大師が如来・阿羅漢・正等覚者であられるのは、彼が宣説された教えがまったく清浄であるからである。

二つの分は関連すると思われるが、明らかに異なる素材に依拠していることがわかる。

(5) 『本地分』の「声聞地」における異同

同じ分内においても、「声聞地」自体に異同が認められる。その第一と第三の瑜伽段では、内・外・両者の三組にわたる四念処の修行について、複数の異なる説明が与えられており、三組に同じ説明が与えられることはない。一つの分の内部においても、諸資料は一様ではない。

これらの事例は、『瑜伽師地論』が多くの異なる資料群から集成されたものであること、そしてその間の異同は、いかなる哲学的な意味での「教義上の」相違ではなく、叙述上の相違であることを示唆している。この小さな鍵を手にして、『瑜伽師地論』および関連する『摂大乗論』がどのように組み立てられたのかを推測してみよう。

3. 瑜伽師地論の編纂と解深密経論

ブッダの涅槃(紀元前486年頃)からアサンガ菩薩の登場(310〜390年頃)までの長い間、インドでは法が代々受け継がれてきた。従来のアーガマ経典や論書に加え、大乗経典・論書も広く流布していた。4世紀に入ると、アサンガ菩薩は当時の教学を集大成する人物として現れる。彼の最大の功績の一つは、瑜伽師地論をインドで広く流布させ、当時の仏教徒たちに教理と実践の基盤を提供し、仏教復興の契機となったことである。五つの部分に見られる教義の違いを踏まえると、瑜伽師地論の編纂過程は次のように推定できる:

  1. 法が代々伝えられる中で、実践を重視する瑜伽行者たちがその要点をまとめた。各自が異なる側面を重視したため、いくつかの重要な資料群が生まれた。アサンガ菩薩はこれらを集約・整理して〈本地分〉(全五十巻)にまとめ、十七の「地」に分けた。瑜伽師地論の冒頭(第一巻)には次のように記されている:

(1) 五識身地 (2) 意地 (3) 有尋有伺地 (4) 有尋無伺地 (5) 無尋無伺地 (6) 三摩呬多地 (7) 非三摩呬多地 (8) 有心地 (9) 無心地 (10) 聞所成地 (11) 思所成地 (12) 修所成地 (13) 声聞地 (14) 縁覚地 (15) 菩薩地 (16) 有余依地 (17) 無余依地。これら十七の地を略説して、瑜伽行者の地という。(T30、p279a)

この一節から、瑜伽師地論の最も古い核心は十七の「地」だったことがうかがえる。アサンガはこれらを編集・補足して〈本地分〉にまとめた。内部に見られるわずかな不整合は、彼の編集の跡を物語っている。それぞれの資料群に独自の価値があったため、彼はそれらのおおむね全体、あるいはそのままの形で残したのである。中でも特に重要な二つの核心が浮かび上がる。アーガマ教学の関連資料から編まれた〈声聞地〉と、大乗教学の関連資料を取り入れてまとめられた〈菩薩地〉である。

〈声聞地〉の編纂にあたって、アサンガは資料を四つの瑜伽分に区分し、それぞれに複数の主題を収めた。資料量が膨大だったため、前半と後半で不整合が生じるのは避けられなかったが、瑜伽行者たちの初期の教えや訓戒の多くはそのまま受け継がれた。〈菩薩地〉も同様に四つの瑜伽分に分けられ、大乗経典の要諦を集約しており、中でも菩薩戒について詳細に説いている。

『菩薩地』の次には『有余地』と『無余地』が置かれ、阿羅漢比丘の果位について簡潔に説くのみである。これは『声聞地』に続く果証であり、したがって『菩薩地』は後に拡充されたものと見なせる。『声聞地』の前に位置する二つの地――『五根地』と『意地』――は、内なる六処について論じ、独立した一単位を成しており、瑜伽行者が「対象」について抱いていた理解を反映している。『有尋有伺地』およびそれに続く二つの地は、広く煩悩とその関連教理について論じており、やはり独立した一単位を形成している。この部分では十六種類の異執が詳しく説かれており、この内容は無著(アサンガ)が『解深密経論』(第九・第十巻)にも採り入れている。静慮地、非静慮地、有心地、無心地の四地は禅定に関わる諸テーマについて論じており、同様に独立した一単位を成している。

次に、『聞所成地』『思所成地』『修所成地』の三地も一つの単位を成している。そのなかで、五明は『聞所成地』に置かれている。なかでも論理学と認識論を扱う因明(ヘトゥビダー)は、論議の本質、論議の場、論議の根拠、論議の荘厳、論議の過失、論議からの離脱について広く説いている。このテーマは、無著が自らの『解深密経論』(第十一巻)にも収めている。『聞所成地』に収められた内明(アビダルマ)の項目では、「一法」から「十法」に至る仏教の教えが簡潔に説かれている。『思所成地』では偈頌(ガーター)を引用し、その趣意を解説する。『修所成地』は対治の修習、あらゆる世間の清浄、あらゆる出世間の清浄を探求する――これらはすべて、瑜伽行者が備えるべき聞・思・修の智慧を構成するものである。これらの重要性から、無著はこれらを一つの単位にまとめたのである。『菩薩地』と阿頼耶識(蔵識)の理論に関する箇所を除けば、『本事分』の十七地の大部分は阿含経を教理的な根拠としている。これら十七地の内容の多くは無著によって編集されており、中には無著自身の造作と考えられる部分もあるが、両者を厳密に線引きすることは難しいと言わざるを得ない。

  1. 次に無着は、本地分に含まれる十七地のそれぞれについて詳しい解説と補足を加え、三十巻からなる釈論分を著した。この中には、無着自身の見解が多く盛り込まれている。例えば『五識身地』『意地』の两条では、八つの論証をもって阿頼耶識の実在を確立しているが、この論題は無着の『解深密経論』にも収められている。また「菩薩地」を展開するに当たっては、菩薩道を補完するため『解深密経』を広く引用し、『宝積経』に説かれる十六の法門を解説している。

  2. 阿含経をどう解釈すべきか、経を解説する規則とは何か——インド仏教の伝統に従い、無着は釈経論分(二巻)を著した。これは全ての仏経を五つの符合の模式によって解釈するもので、例として『修学功徳経』を挙げている。この論書は、無着の『解深密経論』第12・13巻にも収められている。

  3. また別の流れとして、仏の涅槃後、弟子たちは阿含経に現れる各種の術語の注釈を必要とするようになり、そのような術語を分類・解説するため「諸別摂受」(saṃgrahapariccheda)が編纂された。こうした簡潔な論典は師から弟子へと口伝され、最終的に無着の許に届いた。無着はこれを『瑜伽師地論』に収め、諸別摂受分(二巻)に編入した。

  4. 同様に、雑阿含経の教理内容を習得するため、仏弟子たちは蘊・処・縁・道の各章の内容に従ってその要旨を順次抽出し、スートラ・マートリカー(経の母体、sūtra-mātṛkā)を編纂した。この論書は最終的に無着の許に届き、雑集分の経部に組み込まれた。またヴィナーヤ・マートリカー(律の母体、vinaya-mātṛkā)もあり、波羅提木叉経(prātimokṣa-sūtra)の要旨を抽出したもので、雑集分の律部に組み込まれた。最後に無着は短い論書であるダルマ・ラクシャナ・マートリカー(dharma-lakṣaṇa-mātṛkā)を追加した。これは生死・解脱・煩悩・清浄の諸法を簡潔に要約したものである。こうして『瑜伽師地論』の雑集分(全十六巻)が完成した。経と律のこれらの要旨を最初に抽出したのは誰かについて、『臥坐具犍度』(Śāyanāsanavastu)に記された伝承によれば、長老摩訶迦葉(Mahākāśyapa)が行ったのであり、これがマートリカー(母体)伝承の始まりである。

  5. 『瑜伽師地論』の漢訳・チベット訳では、釈経論分と雑集分の順序が逆になっている。これは、初期インドではこの二つが独立して伝えられていたことを示すものと見て疑いない。

要するに、無着はまず瑜伽行者の実践を中心に据えた本地分を編纂し、次に各論題について釈論分で詳しい解説を加え、最後に釈経論分・諸別摂受分・雑集分を組み込んで、広大な『瑜伽師地論』を完成させた。その内容は、声聞道と菩薩道を同等に扱うものとなっている。

一方、『解深密経論』の編纂は菩薩道を中心としている。『瑜伽師地論』の本地分から要義を取り出し、巻一から巻四の「摂事分」(Saṃgraha-vastu)および巻五から巻八の「摂異門分」(Śuddhi-vastu)としてまとめ上げた。たとえば、声聞地の第一瑜伽処にある「戒律」は巻七の「増上戒学差別」に組み込まれ、声聞地の第四瑜伽処の「世間道」も同じく巻七に配されている。菩薩地の菩薩の功徳を説く章は巻八に置かれている。さらに無著は、本地分に見える十六種の異門見解を「摂異門分」の巻九〜十に、本地分の因明を巻十一に、『摂釈分』を巻十二〜十三に編んだ。続いて無著は、「修成作意章」「無常作意章」「苦作意章」「空作意章」「無我作意章」「毘鉢舍那作意章」「瑜伽作意章」「不可思議作意章」という短いテキストを著し、巻十四から巻十七前半へと順次配した。最後に、『摂決択分』の要義を巻十七後半から巻二十の「摂最勝上決定章」としてまとめ上げた。こうして、「聖教を顕揚する」という趣旨がついに成就されたのである。

4. 結論

以上の予察から、『瑜伽師地論』の編纂にあたり、無著菩薩は一方で阿含の教学と実践を中心とする既存の重要資料を整理・保存しつつ、他方で——とりわけ「菩薩地」の長大な叙述に典型をみるような——解説と補充を加え、本来は声聞道に重心を置いていた本地分を、菩薩道にも等しい比重を与える著作へと転成させたことがうかがえる。後に『解深密経論』を編纂した際には、菩薩道が唯一の中心軸となっている。無著の資料の出所については、当時の一大瑜伽行者であった弥勒菩薩に由来する可能性が最も高い。それゆえ漢訳では『瑜伽師地論』を「弥勒菩薩所説」と記すのである。弥勒菩薩はまた無著を菩薩道へと導き、後世における大乗論書の広範な流布をもたらした。無著自身にとっても、この編纂の時期は大乗へと転向した時期にほかならなかった。内容面からいえば、『瑜伽師地論』は法統を通じて伝えられた多くの貴重な阿含教学と実践の要諦を保存しており、『解深密経論』は菩薩行者が聖教において修すべき核心的な教学と実践の内容を示している。この二つの著作は、まさに同時代のインドにおける画期的論書というべきである。

(初出:『法光雑誌』第158期、2002年。本稿にて若干の増補を施した)