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水がぬるいか冷たいかは飲んだ人だけが知る

第六祖・慧能大師は、黄梅において第五祖から袈裟と鉢、ならびに心印を受け継ぎ、すぐさま山深くへ去っていった。しかし、そのことが人々の耳に入り、慧明という修行者が追いかけてきた。追いついた慧明は、袈裟と鉢のためではなく、法を求めて来たのだと言って、慧能に懇ろに教えを請うた。慧能は答えた。「法を求めて来たのなら、まず一切の外的な執着を離れ、すべての思考を断ち切りなさい。そうして初めて、教えよう」

第六祖・慧能大師は、黄梅において第五祖から袈裟と鉢、ならびに心印を受け継ぎ、すぐさま山深くへ去っていった。しかし、そのことが人々の耳に入り、慧明という修行者が追いかけてきた。追いついた慧明は、袈裟と鉢のためではなく、法を求めて来たのだと言って、慧能に懇ろに教えを請うた。慧能は答えた。「法を求めて来たのなら、まず一切の外的な執着を離れ、すべての思考を断ち切りなさい。そうして初めて、教えよう」

やがて慧能は言葉を継いだ。「善を考えるな。悪を考えるな。正に今この瞬間——お前の本来の面目は何か」

この言葉を聞いて、慧明は即座に悟りを開いた。そして慧明は、さらに秘密の奥義を説いてほしいと頼んだ。慧能は言った。「私が言葉で説明できるものは、秘密の奥義ではない。もし光を内に向け、自分の心を照らし返すことができるなら、秘密の奥義はすでにそこにあることに気づくはずだ」

深く感動した慧明は言った。「私は長年、弘忍大師のもとで修行しながら、自分の本来の面目を知りませんでした。あなたの導きのおかげで、道を得ることが水を飲むようなものだと分かりました——『水がぬるいか冷たいかは、飲んだ人だけが知る』と。ついに自分自身を知ることができました」

慧明は第六祖の教えによって悟りを開いた。しかし、弘忍大師のもとで過ごしたあの年月がなければ、この悟りもなかったであろう。木には根があり、水には源がある。今この瞬間は、それ以前のすべての時間によって形作られている。これが縁熟ということである。