公案集
ある僧が浜山智鑑禅師に問うた。「本来の身とは何でしょうか。」禅師は答えられた。「世の中のどこにも、これに並ぶものはない。」――
ある僧が浜山智鑑禅師に問うた。「本来の身とは何でしょうか。」禅師は答えられた。「世の中のどこにも、これに並ぶものはない。」――
ある僧が五洩霊黙禅師に問うた。「無心の境地を得るには、どうすればよいのでしょうか。」禅師は仰せられた。「山が傾き海が覆ろうとも、我は静寂に安んじる。大地が揺れようとも、安らかに眠る――どうしてこれを気にかけようか。」
ある日、潙山禅師が田を指して仰山禅師に言われた。「この田は、この端が高く、あの端が低い。」 仰山が言った。「実はこの端が高く、あの端が低い。」 潙山が言われた。「疑わしいなら、真ん中に立って両端を見てみよ。」 仰山が言った。「真ん中に立つも、両端に留まるもいらない。」 潙山が言われた。「それなら、水を注いでみよ――水は万物を平らにする。」 仰山が言った。「水にも定まった高低はない。高い所には高く、低い所には低くと応じるのみ。」
夏の終わりに、仰山が潙山のもとへ参じた。潙山が言われた。「この夏、一度も山へ上がってこなかったな。下で何をしていたのか。」仰山が言った。「下では畑を耕し、種を一籠蒔きました。」潙山が言われた。「この夏を無駄にはしなかったな。」仰山が問うた。「和尚さまは、この夏何をなさっておられましたか。」潙山が言われた。「昼に一膳、夜に一眠。」仰山が言った。「和尚さまも、この夏を無駄になさいませんでしたね。」
ある日、石鞏慧蔵禅師が厨房で働いていると、馬祖大師が問うた。「何をしているのか。」慧蔵は答えた。「牛を牧しております。」馬祖が問うた。「どうやって牧るのか。」慧蔵は答えた。「草むらに入り込めば、すかさず鼻を捕らえて引き戻します。」馬祖が言われた。「真に牛を牧っているな。」
心が空に相応すれば、誹謗も讃嘆も、憂いも喜びももたらさない。 身が空に相応すれば、刀も香も、痛みも快楽ももたらさない。 己が境遇が空に相応すれば、施すも奪うも、得も失ももたらさない。
心が空と非空とに相応すれば、執着と見解はともに脱落し、大悲は一切の衆生に及ぶ。 身が空と非空とに相応すれば、内は枯木のごとく寂静、外は威儀堂々の姿である。 己が境遇が空と非空とに相応すれば、貪欲は永く熄み、財宝は求める者へ自在に流れる。
心が空・非空・空でも非空でもないことにも相応すれば、真実の相が初めて輝き、仏の慧眼が開く。 身が空・非空・空でも非空でもないことにも相応すれば、一塵が完全な三昧に入り、三昧は一々の塵より起こる。 己が境遇が空・非空・空でも非空でもないことにも相応すれば、香台宝楼が浄土を荘厳し、衆生は其中に悟りを得る。
しかるにあらざれば、真実の相応はない。